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その1)奥田シェフの幸福論
高橋)
奥田さんから、生産者の丸山さんは「私に幸福論を教えてくれた方」とご紹介がありましたが、その幸福論についてお話いただけますか。
奥田)
東京で修行している時に、庄内の食材がキッチンに入ってきて、それがすごく「美味しい」と思ったんです。その後鶴岡に帰省で戻った時に、地域の人たちに活気がなかったので、ここ鶴岡は、美味しい食べ物が一杯ある地域、食べ物の力でここの人達は幸せになれると思ったんですね。最初は。
そして、アルケッチァーノを開業して、色んな生産者の方々と出会って「ここにはすごい生産者の人達がいっぱいいる」と、「これは料理人が、エンジンの役割をすることによって、この地域は絶対花開く」って思ったんです。
そう思っていた時に丸山さんの羊と出会って、すぐにご本人に会いに行ったら「もう羊はやめる」と言われたので、その羊の肉を持って東京に売り込みに行きました。それで、東京の方から使っていただくことによって、丸山さんの羊が『専門料理』などの料理専門誌に出始め、その後数多くの媒体に出るようになりました。その度に、その羊の料理の写真が出たものを丸山さんに見せに行ってました。そしたら「俺の羊なんて、そんなことない」ってずっと言ってた丸山さんの羊が、あまりにも雑誌によく出てくるので、段々「俺の羊って美味しいのかも」って思ってきたんでしょう。丸山さんの顔が段々若くなってきて、向日葵みたいにパッとこう晴れた瞬間を見て、その時に自分が「あ、幸せだな」と「これが自分の幸福論なんだな」と気付いて。
高橋)
この出会いの話は、丸山さん側からするとどういう感じだったんでしょうか。
丸山)
奥田シェフと出会うまでは、全然売れなかったのよ。ほんと。もう羊を始めて10何年も経ってたけど、経営としては合わないから止めようかなと思っていたところに、奥田シェフが来て、「これ美味しいから、十分使えるから」って言うんだね。「まあ、そんなもんかね」って。
それまでは、なにしろジンギスカンだけに頭をおいたんですよ。ジンギスカンだと一人前が大体150g〜250gなので、素材が高くなって、敬遠されたんですね。そこに奥田シェフが自分の感覚で調理してくださって、そしてみんなが喜んでくださったんです。まあ、私としては、有難かったですね。
でも私、奥田シェフに「売ってください」とか「お願いします」とか頼んでないのよね。料理人というのは、新鮮なものをある程度の値ごろ感で仕入れて、そしてお客さんに喜んでいただくのというのが普通だと思うんです。生産者のことを考えてくださるって方は、初めて会ったんですよね。
奥田)
ちょうどうちの店には看板料理がなくて、丸山さんと出会ったことで「庄内のアルケッチァーノに行くと、美味しい羊が食べられる」っていう噂になっていって。徐々に、羊を食べに遠くからお客さんがやって来てくれたんです。
それで、相撲の番付に例えると羊が横綱だとしたら、次の横綱になれるような庄内の食材が、大関とか、関脇とかに分類されるんですが、それらもお店で食べていっていただいて。そんなやりとりの中で、他の可能性のある食材も全部一緒に注目されるようになったのです。丸山さんとのやり取りの中で、庄内の食材達も一緒に元気になっていったんです。
高橋)
いかがですか、丸山さん。今、改めて、奥田さんからこういう話を聞いて。
丸山)
幸せですね。ええ。この若い人がね、私のところに来たときには、小僧みたいだったんですよね。「ええ…ほんとかなあ」と。「まあいいや、駄目もとみたいなもんで使ってくださいよ」と言った、そんな覚えがあります。
奥田)
丸山さんを取り巻いた様々なやりとりから学んだことを、庄内の他の生産者の方々にやっていったら、生産者の方全員と一緒に、庄内そしてアルケッチァーノが有名になって。その結果、周りの人が幸せになりました。そんな中に自分がいて幸せだと感じた、そういうことに初めて気づかされたんです。
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その2)地方のA級レストラン
高橋)
伊藤さんのレストランは、山の上のレストランというか、ちょうど中尊寺と前沢牛の前沢の真ん中の所にありまして、非常に眺めがいい。出身地ではないのに、あそこでレストランを開くに至った経緯っていうのはどんなことだったんでしょう。
伊藤)
私は出身が千葉で、若い頃は東京で生活していましたが、そこで野菜を食べた時に、何かちょっと違和感を感じたんです。
実家が農家だったものですから、小っちゃな頃から、野菜に関してはいいものばっかり食べてたんですね。数、形、それから艶のいいものは、たくさん東京では揃いますけど、やっぱり何かが違うんです。
そんな時に、たまたまあの場所の話があって、やっぱり生産地に近いところで、自分の思ったものを手に入れたいということと、その土地にあるものを使って、自分の手で、何か違うものを作りたいっていう想いがすごく強かったので、産地に近いところを選びたいと思ったわけです。
高橋)
伊藤さんのレストラン、かなり不便なところにあるんですけど、私がレストランに伺っていた時に、お客さんがいらして「予約がないんだけど」と言われたんです。そこで伊藤さんがお客さんのところへ行かれて戻ってこられたので「どうされました?」と聞いたら「お断りしました」って言うんですね。山の上のレストランで、なかなかお客さんが来てくれないのに「貴重なお客さん断っていいのかな」と、非常に驚きました。それで「どうしてですか」って聞いた時に、伊藤さんが答えられたことを覚えておられますか。
伊藤)
はい。「食材が用意できないから」ですね。都会のレストランみたいに、いつでもお客さんが入って、注文すればすぐにものが出てくるというのとは違って、お客さんが何人来るのか、いつ来るのか、ということにあわせて、その方のために食材を用意して、一番美味しく食べてもらいたいというのが私の想いです。そのための準備が出来ていない時にはお断りしています。
高橋)
食べるということについて、それからそれを提供するということについて、深く考えておられるなっていうのを、強く感じました。そのお客さんに対しては、次には予約をして来てくださいね、ということで戻っていただくような「食べ手に対しての作り手の想いをうまく伝える」ことをされてる方だなと思ったんですね。この辺は、なかなか都会のレストランでは味わえないことを、実際にお伺いした時に感じてきました。
やはり地元との関わりというのも、都会とは違ったものがありますか。
伊藤)
はい、例えば鳥の糞が出ますので、それを田んぼだとか、雑穀を作ってる農家さんだとかに渡して、それが肥料になって、それをまた収穫してと。そういうことをここ7、8年続けてきて、段々定着してきております。
しかし、昔の農家さんはそれが当たり前で、みんなそうやってたことを、いつの間にか化学肥料だとかになってしまったんですよね。ですから、自分では当たり前のことを当たり前にやっているだけだと、そんな風に思ってます。
人間の生活するサイクルって動物と同じなんですよね、生き物ですから。そのサイクルにしたがって生活していくのが、一番自然なんです。ですから地元のもの、季節のものをしっかり食べていくっていうことが一番大事なことで、科学や技術が進歩して、一年中同じものを食べられるというのは幸せかもしれないけど、単純に人間のわがままです。本来は、自然の中ではそんなこと絶対あり得ないわけですから。
今の春の時期、山菜が出てきますが、熊が冬眠から覚めて最初に口にするものは山菜です。冬の間に溜まった毒素を体の外に出すために、ああいう繊維質の強いものを食べるんですね。だから、人間の体を作っていく上で、今まで地域で食べ続けられてきたものは、必ず体にいい部分が多く含まれているはずなんです。それはもう一回見直す必要があるのかなと思います。
高橋)
当たり前のことを当たり前にする、これが多分一番難しいことじゃないかと思いますね。
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その3)餌と肉の味の関係
高橋)
丸山さん、羊を飼育されるにあたってのご苦労話といいますか、特に餌に工夫をされているというお話をうかがってるんですが、その辺りお聞かせいただけますか。
丸山)
はい。作業そのものはね、楽なんです。他の家畜だと糞の処理が大変ですけども、羊は湿り気のないポロポロの糞ですから、糞掻きは1年1回だけでいいんです。30センチぐらい溜まりますけど、人が来ても「臭わないね」っていうような程度です。それは楽ですけど、子を産む時は経験がないと大変です。それから1年1回毛を刈らなくちゃいけない。これも1頭とプロレスするみたいなものですから、最初のうちは体力も使います。
餌はね、羊だから草を食べさせれば肉もとれるだろうと、こりゃあ大変楽で儲かるなと思ったけど、普通の草ではだめですね。生きてることは生きてますけど、美味しい肉は仕上がりません。ですから、その餌に穀類を購入して与えています。
また、鶴岡はだだちゃ豆の産地で、だだちゃ豆の粒をとったさやが、1年中出るんです。冷凍保存しておいた豆をね、お菓子屋さんやお料理屋さんに出すために農協の業務でやっているものが、毎日出てくるんです。それを与えていると、ずい分豆粒も入っているみたいなんですよ。それが工夫というか、他と違うところでしょうか。奥田シェフから言わせると、そのさやのおかげで肉の味も全然違うよと。私はその辺はあんまり分からないんですけどね。
奥田)
大豆の青豆なので、イソフラボンが豊富で、体がフワっとふくらむんです。それと、枝豆のさやっていうのは、活性酸素を抑えてくれるので、肉の脂が臭くならないんです。
うちの店では、丸山さんの羊は子羊ではなくて、大人になったもの使ってるんですが、ちゃんと大人になってるので、コクがありながらも脂が臭くない。子羊のいいところと、親羊のいいところを併せもち、悪いとこがうまく枝豆の力で消えてるんだと思います。そういう羊なので、ほとんどソースを使わないお料理にして出してます。
高橋)
その辺がほんとに魅力なんでしょうね。あと、餌ということで、先ほど栗で育てたらいいんじゃないかとお話されていましたが。
奥田)
はい。丸山さんのところの羊の養舎の近くに、栗が生えてるんですよ。その栗を食べさせたらどうかと。(笑)
丸山)
確かに、私の養舎の近くにも栗はありますけどね。(笑)
栗の中間業者の方が、スペインのイベリコ豚のどんぐりですか、あれをイメージして、商品にならない栗がずいぶん出るので、それを食べさせてみてくださいよって言うんです。それでやってみたら、食べることは食べるんだけど、量がそんなにないんですね。それから、あの渋皮がどうも上手く処理できないみたいで、今のところは実現しておりません。渋皮さえなかったらなあと思っております。
奥田)
私の特技の一つで、人間の左手を嗅ぐと、その前の日に何を食べたかわかるんです。「あ、今日かつ丼たべたでしょう?」とか「今日は鰹節の香りがするので、うどんでしょう?」とか。食べたものが、汗の香りとかになって出るんです。
これは動物で言うと、脂分のところの香りが変わる、つまり餌によって肉の香りが変わるっていうことですね。餌と相性がいいものを、そのお肉に合わせれば、美味しくなるんです。例えば、丸山さんが昨日豚を食べて、豚の香りがするとします。もし丸山さんを料理するとしたら、生姜をつければ美味しいんですよ。
肉の脂分は餌で変わる、ほんとにすごく変わるんです。
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その4)ホロホロ鳥の卵は食べられるのか!?
高橋)
先ほど、試食の時に「ホロホロ
石黒)
はい。ホロホロ鳥というのはキジ科の鳥でして、アフリカ原産、フランス育ちの鳥です。この鳥を、昭和50年からずっと飼育しておりまして、一時は日本で流行ったこともあるんですけど、今、残ってるのはうちだけということで、独占企業みたいになっております。と言いましても、年間でたった4万羽ぐらいしかいない鳥なんです。
高橋)
我々普通の食べ手には、年間4万羽ってどのくらいの数量なのか、感覚がなくてわからないんですけれども。
石黒)
そうですね、4万羽っていうと、例えば東京で巨人阪神戦があって、帰りに皆さん1羽ずつ買ってったとすると、1年間のホロホロ鳥が全てその場で無くなってしまうというレベルです。ほとんど一般には知られていない思うので、まずは皆さんに知ってもらうというところからのスタートですね。
伊藤シェフ、奥田シェフのレストランに行くと、間違いなく食べられますので、是非いらしてください。
高橋)
数があんまり'はけない'というか、できないというか、そういうホロホロ鳥の生産に関わって、これまでに一番ご苦労されたことはどんなことですか。
先ほど、鳥にしても羊にしても、餌をどういう形で与えるのか、それが肉の質にすごい影響を与えるという話をしてたんですが、餌については、何か工夫をされているんでしょうか。
石黒)
この鳥は寒さに弱いんですが、自分の農場内から温泉が湧き出てまして、それを全部床暖房にして育てています。自宅は築50年も経っていて、すごく寒いんですけど、鳥の小屋の中は冬でも15℃ぐらいに保たれて、ぽかぽかです。そのお陰で、餌なんかも完全に無薬で育ててます。別に苦労でもないですね。
それから餌に関してですが、ホロホロ鳥というのは、フランスが全世界の3分の2ぐらいを飼育しておりまして、うちの鳥も元はフランスから来ているんですけど、今、高橋さんが言われたとおり、餌によって全然違うものになると思っています。
自分のところは、地産地消ではないですけども、まずは地元でとれたお米。それから私の住んでいる岩手の花巻ってところは、雑穀の生産量が日本一なものですから、それの'ふるいの下'っていうんですか、あんまりよくないものを安く買ってきまして、八穀米ぐらいにした餌を与えております。多分、そんなので脂だとかもすごくマイルドになってるんじゃないのかなと思ってます。
高橋)
ところで、ホロホロ鳥も'トリ'ということですが、ホロホロ鳥の卵は食べられるんですか。
石黒)
はい、食べられます。ホロホロ鳥は卵をあんまり産まない鳥でして、しかも、すごく殻が固いんです。アフリカの鳥なもんですから、砂漠に卵を産むので。親っていうのは案外冷たくて、だまっていれば地熱で温まるので、抱く習性がないんですね。親は卵を蹴っ飛ばして、それで孵化させる。
年間に120個、3日に1個ぐらいしか産まない、そんな鳥ですね。でも卵は美味しい。美味しいんですけど、売るほどはありません。
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その5)震災の炊き出し秘話
高橋)
伊藤さんのロレオールがベースキャンプになって、震災被災地支援の中心的な活動をされてきたということですが、その辺りのことからお話いただけますか。
伊藤)
はい、去年3月11日に震災があって、とりあえずお店は3日くらいで再開できるような状況になりましたけれども、いかんせんお客様も動きませんしね。三陸の方の惨状を見ると、とてもじっとしていられるような状況ではなかったので、すぐ奥田君に電話をして、一緒に炊き出しに行くようになったんですね。それから、色んなところのシェフの窓口というか、色々問い合わせをしてきたりするので、一緒に行くという形が多かったです。
私は、お店をやる前に、出張料理を一人でやっていたものですから、軽ワゴン車に調理道具から全部入るようなセットがあったんです。ですから、その車を動かせば、被災地ですぐ食事は作れる状況でした。
ところが、人数が多いですから、大きなものを持って行く必要があったのです。奥田君のところでそのために買ったような車があって、その納車日がちょうどその頃でして。(笑)
奥田)
衝動買いしちゃったんですよね、冷蔵車を。そしたら納車が3月11日の午後4時だったんです。これはもう、すぐ行けっていうことだっていうことだと感じて、炊き出しにはずっとその冷蔵車で行きました。
伊藤)
その冷蔵車に、生産者の方が支援してくれた物資とか、食材を積んで、山形から来てくれて。ほんとに朝から晩まで走り回って、帰ってくると「なんかお腹が空いたよね」って。自分達が何も食べずに1日終わったっていうのが多かったです。
高橋)
生産者の方と料理人の方が、タッグを組んで支援されたのですね。
丸山)
奥田シェフの活動見て、これは自分らも何かっていう気持ちでした。でも、3月の下旬で、明日から田んぼの準備に入るというのが現実でね、活動はできなかったです。それで、自分のところの野菜を奥田シェフに持たせるやら、米を持って行っていただくやら、そういう支援は生産者が皆さん、やってくれました。
石黒)
自分は、料理人じゃないので料理はできないけど、被災地まで行く料理人を乗せた車の運転ならできるだろうと。で、運転しますってんで、運転の手伝いだけはよくしたんですけど、しょっちゅう道に迷って、奥田さんに怒られてました。
伊藤)
道具、それから食材関係に関しては、タイミングよくそれぞれ物が揃ってきましたね。
高橋)
被災地に行って、とにかく温かいものを作りたいってお話されてましたけれども。
奥田)
はい。体が冷え切ってるので、体の芯から温まる、気持ちにもふわっと灯がともる、なるべくほのぼのとしたお母さんの味の料理を作ろうと思いました。
最初はカレーだったんですが、その後は卵料理が意外に、ほのぼのとする感じで受けたんですね。で、卵とハンバーグと消化酵素のある果物と、というふうに、段々体のことを考えた料理になっていったんです。そして、心と心が通じるような料理にしようということで、食べたいというものを作ってあげるっていうふうに変えていきました。
なので、沿岸地域なのにずっと海のものを食べていなかったところで、寿司を作って食べてもらったら、80歳過ぎのおばあちゃんが、突然ドンドンパンパンとか、昔歌ってた歌を歌い始めたりっていうことがありました。体の細胞がやはり、普段食べてる料理を覚えてたんですね。食べ物はすごい力があるなと思いました。
高橋)
普段食べているものを食べるようになって、ようやく「戻る」っていう実感が持てるようになるっていうことなんでしょうね。
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