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司会: 高橋事務局長 |
その1)厨房の指揮者−アラン・シャペル
高橋)
本日は音羽さん、西原さんのお二人を招き実演していただいたのですが、お二人の料理マスターズ受賞者をお招きした理由が、かつてのフランスの有名な料理人アラン・シャペルさんのお弟子さんという共通点があるからです。そして、そのアラン・シャペルが行っていた事は、料理マスターズの目指している事と重なると感じています。お二人にアラン・シャペルの人となりなどからお話いただきたいと思います。
音羽)
私がアラン・シャペルで修行を始めたのは1974年です。当時、ポールボキューズという非常に評価の高いお店があったのですが、そこから一番近い三ツ星レストランがアラン・シャペルであり、最年少で三ツ星を獲得したシェフでした。アラン・シャペルさんは非常に厳しく、やる気がなかったり、ステップアップを図ろうとしない調理場のスタッフには無関心で、初歩的な事しかやらせませんでした。技術はものすごく、味覚に関してもすばらしい物をつくるけれども、練習無しで一発で作る人でした。
高橋)
西原さんから見たアラン・シャペルさんは?
西原)
音羽さんのおっしゃられるように、アラン・シャペルさんはこちらから興味を持ち、どんどん質問をし、入っていかないと、寄せ付けてくれない方でした。しかし、音羽さんをはじめ、私より先にアラン・シャペルに入られていた方々は皆口を揃えて「厳しい」とおっしゃられますが、私からすると非常に優しい方でした。私は当時、フランス語を勉強していなかったのですが、そんな私にも全ての事が理解できるように伝えてくれたと思っています。私からすると、こんなに優しい方はいないというほどでした。
高橋)
そのような違いはどこからくるのでしょうか?
音羽)
西原さんはアラン・シャペルさんに出会った時から、お菓子の技術が非常に高かったですし、料理観やデザート観においてアラン・シャペルさんと共通する面を保っていたのかな、と思います。
また、私が入った1974年はアラン・シャペルさんにとっての一番の全盛期であり、頑な意地のようなものがありました。西原さんがアラン・シャペルさんに出会ったのは、その10年後ですからその期間に色々な出会いもあったのだと思います。
高橋)
でも西原さんの話を聞くと、音羽さんからしたら、シャペルについては時期がちょっと悪かった、なんて思ってしまうんじゃないですか?(笑)
西原)
外国人は絶対に雇わない、という一番厳しいところを音羽さんがこじ開けたんですよ。私なんかが、シャペルさんが亡くなる直前に出会うことができたのは音羽さんありきです。
音羽)
そう思っていただけるのは嬉しいですが、私も無我夢中で何かを得たいとどっぷりつかってしまっていて、まっしぐらにトライすることしか考えていませんでした。どんな状況でもそれぞれの影響を個々でしっかり受けていると思います。
西原)
私は料理というより、お菓子のジャンルでしたので、厨房が全く違うんですね。調理場の斜め向かいにラボアトリーという厨房がありましたので、調理場の中に入る事はなかなかありませんでした。
私はそこからいつも見ていてすごく印象的に覚えているのですが、料理のオーダーが入り、料理がスタートする、というタイミングでアラン・シャペルさんが調理場に現れます。そして、厨房の熱が外に逃げないように、扉が全てしめられます。その時の、緊張感というか、ビッ、と緊張が広がる感じをすごく覚えています。そしてオーダーをシャペルさんが読んでいき、各ポジションが準備をしていくんです。
音羽)
その時はアラン・シャペルさんの声しか聞こえません。質問も出来ず、分からない事があったとしても、聞こえたフリをしていくしかないのです。一切質問など出来る雰囲気ではないのです。その後は鍋置く音と、シャペルさんのごくごく最小限の言葉だけで調理は進んでいきます。
西原)
実は料理というのは、皆さんには想像がつかない事と思いますが、分単位どころか秒単位で進んでいきます。私はパティシエなので、パイ生地を使う料理のパイ生地の火入れを行うのは私達の仕事でした。ですので、オーダーが入ると、インターホンでパティスリーに連絡が来ます。
高橋)
パティスリーは離れてるわけですもんね。
西原)
そうです。それが少しでも遅れてしまったら全ての料理がストップするので、緊張せざるを得ない状況でした。
音羽)
遅くても早くても勿論ダメなんです。お客様の食べる状況を描きながら、その瞬間のタイミングで動きます。お客様が一番おいしいと言うタイミングです。その事に関しては非常に的確でうるさく、妥協を許さない方でした。
西原)
そのタイミングにどうあわせられるか。このごろ私はよくクラシック音楽を聴いているのですが、アラン・シャペルさんは、まさにオーケストラの指揮者です。今、ここで出しなさいというタイミングを、アラン・シャペルさんが全て指示していくのです。それも絶対にズレることなく、100%完璧です。
高橋)
100%というところが凄いですよね。
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アラン・シャペル氏
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その2)地元の食材の魅力を引き出す
高橋)
ところで、アラン・シャペルさんの料理において、食材にも特徴があると思うのですが、いかがですか?
音羽)
生産者さんが厨房の裏から入って来て、それを二番手のシェフが受け取るのですが、アラン・シャペルさんは生産者さんに声をかけます。そして、同じ立場でコーヒーを飲んで話していました。生産者さんに対して、本当に大切なパートナーとして尊敬の念をいだきながら接していたと思います。
それと、地元の良質なものを常に求めていました。トリュフやフォアグラといった高級なものだけ使っていたわけではなく、野菜などごくごく一般的な食材を三ツ星に仕立てたシェフとも言われていました。つまり高級レストランでは使わないような食材を平然と使い、それが高い評価を得ていたのです。
高橋)
そういう点では音羽さんのヤシオマスも同じような事が言えると思うのですが、何故ヤシオマスに目をつけたのですか?
音羽)
まず、身近な食材をなんでも使っていこうと思っていました。32年前に宇都宮に戻って(店を)はじめた時に、大根でサラダをやるか、というのも身近な食材の一つですし、それをどのように仕立てられるか・・・と思いました。そういう意味ではアラン・シャペルさんのように、身近な食材を自分の中に描いていました。
ヤシオマスは県内のものですし、力を入れた生産者さん方のお陰で、どんどん良いマスになっていきました。そのような繋がりの中で、間違いのない、大切な食材になっていきました。食材は同じように育てても、空気、水、土壌、種類などによって全然違うものになるわけですが、ヤシオマスは日光で、その環境の中で、きちっと偽りなく育てていくということが最も重要だと思います。
そして飼料の問題も、日本にとっては大変なこともたくさんありますが、畜産にしても、養殖にしても、出来る限りきちっとしていくことは、いい意味で世界に勝つことにつながりますし、その地域性がよりはっきりしてくるので、非常に大変な道だけど頑張るしかないと思います。
高橋)
山越さんは、声をかけられた時どうでしたか?音羽さんのようなシェフから声がかかって今まで作っていた食材に自信をもてましたか?
山越)
最初は非常に緊張しました。私なんかで大丈夫だろうか、と思いました。でも音羽さんにはヤシオマスを改良するにあたってプロデュースをしていただいていたので、私にとっては非常に魅力的な方でした。信州サーモンなど色々なブランドがある中で、ヤシオマスは古いのにパッとしていなかったので、このようなシェフに使っていただいて、世に広めていただけたら・・・と思いました。
自分の作っているものにはこだわりがあるので、自信はありましたが、それでも緊張しました(笑)。最初にお伺いした時は、何を話せばいいかと緊張したし、今も若干緊張しています(笑)。
高橋)
それが評価されて、どうでしたか?
山越)
非常に嬉しかったです。でも逆に自分の中で、これで大丈夫なのか、これでいいのか、というような思いが常にありました。なので、時々自分で食べたりして確認していました。また、自分の感覚ではなく、シェフの感覚にとっていいものなのかと考えると、より緊張しますね。
次号へつづく
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ヤシオマス
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その3)生産者と料理人の切磋琢磨
高橋)
生産者の方が考えるいいものと、食べ手が考えるいいものの情報のやりとりというか、フィードバックが足りないというのはいろいろな方と話していて感じています。料理人の方が生産者の方を招いて、その方の食材を使った料理を作って、生産者の方に、どのような形で食べ手に出しているかを知っていただくというケースがあると伺いました。そして、その時に'こんなにおいしく食べ手に出されているのか'と驚かれる生産者の方が多いのですが、どうですか?
山越)
まさに今日、音羽さんが作られたコンフィを、はじめてお店に行った時に出していただいたのですが、こんな風になるのかと驚きました。というのは、今までホテルや旅館に提供していて、料理の単なる一品という形だったので。音羽さんのコンフィは、オーラをまとったというか、ここまで仕上げていただけるのか、それならもっと前に進みたいと思いました。
高橋)
そのような関係がすばらしいですよね。自分で作った物をさらに良くしようというお互いの関係が、日本の食材をより高めていくのではないかと思っています。料理マスターズはそのような関係を広めたり、深めたり、高めたりなさっている方を表彰しようとしている制度なのですが、音羽さんと山越さんの関係は本当に理想的な関係だなと思います。
ここで、山越さんのヤシオマスに「+α」をつけた活動についてお話いただけたら、と思います。
山越)
今日のものは、ヤシオマスアルファという、音羽シェフにプロデュースしていただきながら改良したヤシオマスです。栃木県水産試験場が、おそらく魚で初めて、脂の質を変える技術を開発してくださいました。しかし、そのヤシオマスアルファを作るにあたっては、今までより費用がかかるし、こんな時代なので生産コストを上げることには迷いがありました。でも、やはりいい物を作りたいという思いは昔からありました。
赤ワインのポリフェノールを入れてみたり、天然の物に置き換えられる物は置き換えてみたりしていたので、それに新しい技術をプラスすることで今の魚が出来ました。私の中では他の信州サーモンなどと比べても負けない魚になったと思います。
高橋)
それは素晴らしい。そのような自信を持つことで、他の料理人さんも使おうと思いますもんね。たしかに旅館やホテルですと、いっぱいある品物の一つで、小さい焼き魚のような形では、あまり評価されづらいですよね。でも、先ほどのようにお皿のメインとしてフィーチャーされ、生に近い形で食べられるんだ、という表現方法をしていただくと、生産者側でも、自分のものの良さに気づけると思うのですが。
山越)
そうですね。音羽さんのレストランで出していただいた自分のヤシオマスをみて'作っててよかったな'と思ったし、食べてみて'こんな味になったんだ!'と感動しました。でも嬉しさの次にプレッシャーがきますね。
高橋)
プレッシャーというような壁ですね。そういう壁をお互い作れて、お互い乗り越えていくことがお互いの向上の秘訣であり、そのような壁をつくりあえる関係、それを乗り越え、乗り越えられ、という技術開発の壁のような関係で、お互い高め合える関係がいいなと思っています。
料理マスターズにおける継続的な努力に対しての評価というのは、今の関係だけでなく、今後にむけての努力を続けていける関係をつくっていっていただきたいなと、強く願っているからです。
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ヤシオマスがオーラをまとって・・・
《栃木の季節野菜とヤシオマスのコンフィ》
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その4)常に'今'を超える精進
高橋)
それでは最後にアラン・シャペルさんから得たことについて、音羽さん西原さん、お願いします。
音羽)
アラン・シャペルさんは、人が見ている見ていない、表向きの評価がうんぬんということよりは、しかるべき料理人の仕事としてきちっとやりなさい、ということに関して厳しい方でした。誰かが見ている見ていない、評価される評価されない、ではなく、真っ向からちゃんとしなさい。それが結果的に自分たちの信頼関係につながり、もしかしたら評価につながるんだろうということを厳しくおっしゃられていました。それが私が得た非常に大切なことです。
西原)
シャペルさんが遺されたレシピ集、日本語の題名として「料理は配合※1を超えるもの」と訳されているものがあります。フランス語では'La cuisine, c'est beaucoup plus que des recettes'といい、'plus que '−'常に(超える)'という意味があります。彼と身近に接していると、今よりもさらにもう一段階上、これよりももう一段階上、というバージョンアップへの意識を常に感じましたね。
今で言う食育を、私はシャペルさんに受けられたのかなと思います。シャペルさんが色々な世界へ招待された際、必ず同行させていただきました。ミラノやメルボルンにも行きましたが、どこかに行くと、アラン・シャペルさんには、そこの最高の食材と最高の料理が振る舞われるんですね。同じテーブルについてそれを横で食べさせていただける。アラン・シャペルさんが隣で食べて、「金蔵これはおいしいぞ」と。
白トリュフなんか私は今でもあまりわからないのですが、サラダの上に白トリュフがスライスして乗っていて、そこに少しコショウがかかっていました。そのトリュフとコショウなんて普通では食べられないものでした。そして味の途中段階を話してくれるんですね。「今甘みが出て来た」とか「香りの余韻がこんなにある」とか。イタリアの最後ではリコッタチーズが出されて、その上に蜂蜜がかかっていました。その蜂蜜が苦みのあるもので、アラン・シャペルさんは「金蔵、これはすごくおいしいから、帰ったらこの蜂蜜でアイスクリームを作れ」と。
本当に配合は無いんです。思い出とか、その時の感じを、イメージでしか与えてもらえないのです。そのイメージを作っていくという作業の中で、想像してもの作りをするということを、シャペルさんにずいぶん教わったと思います。
高橋)
自分の頭で考えるという事は大事ですね。先ほどの山越さんの改良においても言える話ですし、アラン・シャペルさんから金蔵さんが受け取ったものもそうですしね。
西原)
「いついつに大切なお客様がきて、こんな料理を作るつもりなのだが、金蔵はどうする?」と聞かれて、即答できないと、アラン・シャペルさんは思い出話をしてくれました。「いついつに、だれだれに、こんなにおいしい物を食べさせてもらった。それはいいかも」と伝えられたものをひたすら想像し、簡単な説明を受けます。そしてそれを踏まえて作って持っていくと「これは全然違う」と言われ、また、こうだろう、ああだろうと試行錯誤して作っていく、と。
高橋)
教育者としても素晴らしいものですね。料理というのは私も出会いだと思っていて、このような集まりにしても一期一会しかないわけですよね。そしてこのような料理をお出しして、皆さんに感じていただいて、それを明日になって再現しようとしても無理なわけで。だけどそういう、一瞬にかける思いというか、そういうものに作り手だけではなく、食べ手も真剣に臨めることができれば得る物が非常にたくさんあると思います。アラン・シャペルさんの話しをお伺いできてよかったです。ありがとうございました。
次号より「銀座で地方の食材を」(坂田幹靖シェフ・梅原陣之輔料理長)を掲載いたします。
※1配合:料理を作る際の材料の組合せと分量、作り方のこと。
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